さわかみ

GRAND CHAMPION

  • 1989年度 ショートボード男子
    グランドチャンピオン
  • 糟谷 修自
  • 1961年1月1日生まれ
  • 千葉県出身ハワイ在住

自分は1981年にプロになりましたが、その当時はちょうど少しずつ世代交代するときでしたね。サーフィンブームの時で、いい時代にプロになったと思いますよ。ギャラリーもどの会場でもいっぱいでしたね。グランドチャンピオンになった年は確か海外ではトム・カレンが2年ぐらいリタイヤしてマーティン・ポーターがワールドチャンピオンになったのかな。サーフィンが少しずつ変わってきた頃だったと思います。


その頃はJPSAは7戦ぐらいあったと思うけど、常にクォ―ターファイナル以上には勝ち残ってて、この年の最終戦でグランドチャンピオンを獲れるか獲れないかという時の練習中に、台風の稲村ガ崎でフローターをした着地で足の骨を3本折ってしまい、次週に最終戦が控えていて2位の選手が出場すれば、自分は9位以上にならなくてはいけなくて、絶対に出なければならない状況でした。それでギブスだけはしないでと医者に頼んでテーピングだけでサーフィンをしたけど、痛みで立てるような状態ではなかったですね。だからゼッケンだけつけて出場して、相手がいい成績を残さなければ可能性があるというとても厳しい状況でした。ところが大会当日の朝、開催場所の辻堂ビーチがあまりにも波が小さくて大会がその翌週へ延期になったんです。その後、当然足にはギブスをはめることになったけど、ギブスを短くして延期になった大会に出ようかと考えていました。そしたらまた波が小さくて延期。結局1ヶ月近く延期になって、その間にギブスが取れて、トレーナーの先生にフルテーピングをしてもらって出場することを決めました。開催が決定した日の辻堂は強い低気圧の影響で、波がダブルぐらいまで上がりました。ダンパー気味の波といい波に分かれていて、ギブスを外したばかりで痛みをこらえ、とにかくいい波に乗ることに専念しました。


結果的にその最終戦で3位になり自力でタイトルが獲れたという感じです。あの足の状態でスモールコンディションでのサーフィンの方が厳しかったと思います。逆にサイズのある波での戦いが良かったんだと思います。翌年は骨折が完治し、気分的にもテンションが高くなっていましたね。前シーズンを怪我を負いながらも勝てたことで勢いに乗ってましたね。その頃はもうハワイに住んでいて日本とハワイを頻繁に往復していました。海外で素晴らしいシェイパーと巡り会い、良いサーフボードを手にすることができた事がすべての結果につながったと思いますね。道具は本当に大事で大きな自信に繋がる事だと思います。


現在もハワイをベースに、ハーレーのチームマネージャーとして海外チームの人たちとコンタクトを取りながら日本の選手といろいろなプロモーションを行っています。それからSKサーフボードのプロデユースもしています。ハワイは波が豊富なので体調もいいですね。取材でマウイトリップに行ったり、コーチとしてフランスへ遠征したり、これからもフットワークを軽く動ければと思っています。ハーレーでは元ワールドチャンピオンのバートン・リンチと子供たちのコーチングシステムについて一緒に仕事を進めています。海外選手のレベルが伸びて行く中で、日本の選手もしっかりと追いついていかなければならないので、そのために少しでも良い環境を提供してあげられればと感じています。今後日本代表となる選手たちに出来る限り協力して育てていきたいと思っています。


できれば日本だけではなく世界を見て、大きな夢を持って頑張ってほしいです。最近はハワイに来る選手も少なくなっているような気がします。ハングリーさがなくなると結果にも出てくると思うし、世界を目指すにはハワイは通らなくてはならない場所です。小さい波でやるだけではなく、ここに焦点を合わせてできる限り練習しに来てほしいですね。ハワイはサーフィンの基本的な事をたくさん勉強できる所ですから。同じ日本人として応援できることがあれば常に応援してあげたいしと思っています。

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